「最後の瞽女 ハル 」の物語・・・

1900年(明治33年)、新潟県三条市の川べりの農家で、小林ハルさんは生まれた。生後まもなく白内障にかかり、両目の視力を失ったことが、ハルさんの宿命を決定づけた。「外聞が悪い」と祖父は幼いハルさんをいつも奥の寝室に置き、母トメにはハルと一切会わせないようにした。そんな娘を不憫に思った父親は、人目を盗んでハルさんを抱いたりしてくれたが、だがハルが2歳の時、病でこの世を去った。

母は口癖のようにハルさんにこう言った。「ハル、オラが死んだら、お前は一人で生きていかんならねえ。辛いことがあっても辛いと言うな。腹減っても、ひもじいと泣いちゃならねぇ。」
そんな5歳の時、村にやってきた瞽女のフジ親方に祖父はハルさんを弟子にするよう依頼。20年の年季奉公が決定した。

トメはフジ親方から「最初の稽古が始まるまでに、何でも一人で、できるようにしておくように躾て下さいよ」と言われる。フジの冷酷なまでの言葉にトメは愕然とし決心をする。
その日からトメは鬼の様にハルに礼儀作法や編み物、縫い物などの躾を教えてゆく、「優しくしていたら、ロクなものにはならねェ」「オラはいつまでも生きられねェ。なんでも覚えねば、あの時覚えておけばいかったといっても、二度と教えられねェ。だから今覚えねばだめだ」と言い、ハルに厳しく接した。

「今日からお裁縫を教える、初めに覚えるのは針の孔通しからだ」だが目の見えないハルには思うように針の穴に糸を通すことができない。 何度か自分なりに工夫して試みるものの、やはりできない。

「ダメだぁ・・・オラにはできっこねぇ」 ついに泣き出してしまうハルに、トメは罰として食事を与えない。 「もう勘弁して。お願い」
トメ 「もういい!もう誰もお前の面倒は見ないからそう思え!」 バシンッと力一杯閉められる襖。 その裂帛した音は空気を切り裂き、親子の絆をも引き裂くほどの音だった。
部屋に一人残されたハルは暗闇の中でじっと座っている。 しんと静まり返った室内。 神経を集中させ、舌先で糸の先と針穴を探り当てる。 見えないはずのハルの目に、はっきりと糸先が、それを通す針の穴が見えた。 漆黒の夜空。光り輝く月の光が奥座敷の天窓から射し込んでくる。 うっすらと幸せそうな笑みを浮かべたハルの顔が照らし出される。母親はさらに巡業に出る日に備え、着物の着方や風呂敷を使った荷造りの仕方、荷物の持ち運び方などを教えて行くのでした。

そして7歳の時から三味線の稽古が始まり、ハルさんの血のにじむような修行の日々が始まった。三味線を弾くハルさんの細い指を親方が押さえ込み、糸道を辿らせる。
ハルさんの手はいつも血にまみれた。そして「寒声」と呼ばれる真冬の稽古は、毎日早朝や夜、川の土手に薄着姿で立ち、叫ぶように唄い声をつぶす。
ようやく8歳になりハルの瞽女としての初旅を迎える日に。母のトメはハルにこう言い聞かせた。「いいかェ、ハル、旅に出ることは、瞽女としての仕事に出ることだぞ、これから師匠を『お母さん』と呼んで一生懸命務めるのだ、手が冷たくていやだとか、どんなことがあっても家に帰りたいなんて、言ってはならんぞ。つらいときはじっと我慢して、神さま仏さまのお力を待つのだ。決して口ごたえなぞしてはならんぞ、お前は、言われたことを『はい、はい』と言って努めなければならんのだ。それがこれからの瞽女の仕事なのだ。」と・・・

しかし、フジ親方との旅は厳しい修業の旅であった。
ハルは、縁切り金を目当てにするフジからの様々な仕打ちに耐えなければならなかった。小柄なハルがフジの分を合わせて2人分の荷物を担ぐ姿に人が同情すると、「重そうに担ぐからだ。オラのせいだと思わせたいのか」と怒られ、ハルの唄が褒められると「そんなに褒められたいのなら、あの家の子になれ」と嫌味を言われ、食事の際、フジや姉弟子がおかずを食べても、ハルだけはご飯とみそ汁と漬物しか食べることが許されなかった。
谷にかかった一本橋を渡る際には「落ちて死んでもいいぞ、死ねば、家の者が喜んで迎えに来るだろう」と言い放ち、ハルが祝儀を多く貰うと、褒めるどころか「これはどこからか盗んできたろう」、「お前みたいに唄の下手なものが、こんなに稼げるわけはない」などと難癖をつけ、杖で打ち据えた。 瞽女峠と呼ばれる難所を越えて会津へ向かった際には、自分や姉弟子の荷物は人に運ばせてハルだけに荷物を運ばせ、「おまえはろくに唄もうたえないし、目だって見えない。そういう者は馬のかわりだ」と罵った。

ハルの瞽女旅が何回か過ぎたある日、母のトメが持病を悪化させて臨終の時、 トメはハルを枕元に呼び、じっと娘を見つめ小さな呟く様な声「ハルごめんなさいね、あなたを守れない・・・かあさんを許してね・・・」と言い放つと静かに息をひきとったのです。

数年してハルは、フジ親方との縁はきれ、二人目のサワ親方の世話を受ける事になった。
サワ親方は素直なハルの性格を見抜き、優しく親切に瞽女唄を教えてゆくのでした。
瞽女宿での唄は村の衆を楽しませ喜ばせた。ハルが唄い終わる。拍手が止まらない。
笊が廻ってくると村の人々はお捻りや米や麦、稗などをお布施でざるにいれる。お捻りの包みを投げる人もいた。
サワは優しくハルに言った「ハル、これがお前の取り分だ」「こんなに、貰えねえだ」「いいんだ、約束したように公平にな、お金よりハル、お前とこうして旅をしていると、本当に楽しいだ、いつも、祭りみたいなもんだ」「親方、オラもこんな楽しい旅はしたことねえ」
「それにハル、お前がオラの娘のような気がしてな、これから楽しくやって行こうな」「親方、オラも本当の親子だと思っている、一緒に暮らされればそれでいいんだわね」
目の見えない同士が手と手を取り合ってお互いに助け合う二人。だが喜びも束の間、ハルに また不幸が襲ってくる。サワ親方が倒れ蒲団に臥せってしまう、ハルは旅から帰ってくるとすぐにサワ親方のもとに駆けつけた。
「ハル、ハルかい、どこだね」ハルがサワの手を両手握り締める。そしてハルに瞽女の大切な事を教えたのです。
「ハル、いいかいよくお聞き、人にはそれぞれ神さまから頂いた運命という道がある、前に、お前が救ってあげた蛾がいたね、その蛾をお前に助けた、それはちょうどお前がいたからだ。同じように、神様はお前は素晴らしいものを与え助けてくれているそれが何か分かるかい」
「・・・」「人にはあってハルにはないも、それは見ることだ、ハルにはあって、人にはないもの、それは瞽女唄を歌う事だ」
サワの手が探し出した、ハルの手を握る。「お前の唄声は、ぼっこれ薬缶じゃない、神様の唄声だ。誇りを持って歌いなさい」「分かりましたが、親方、がんばってくれ、死なんでくれ」 「ハル、もう一度お前の唄が聞きたい、唄ってくれるかい」 「ハェ、いま唄うがね」ハルは心を込めて唄いだす。
「いいね・・・いいね、ありがとうよ、ハル。おれは、お前に会えただけでも幸せ者だ。ハル、お前は本当に辛い事ばかりの人生だね、でも挫けちゃ行けない、目が見えない事は難儀かもしれないが、しかしお前には唄があるんだ強く生きておくれ、いい唄だね・・いい・唄・だ(笑顔が)」
夕刻、サワは逝った。
26歳になり年季奉公が明けたハルさんは、晴れて独立。そんな時、思いがけない話が舞い込んだ。母親と死別した2歳の女の子を養子にもらって欲しいと言うのだ。
ハルさんは喜んでその子を引き取った。 「あ〜ちゃん、あ〜ちゃん(母ちゃん)」」とそう呼ばれる時の何とも言えない甘い思い初めて味わう母としての幸せ。その時ハルさんの記憶が蘇った。これが実の母かと思うほど厳しかった母、しかし自分の死後、全盲の娘が一人で生きて行けるようにと、心を鬼にした母の本当の気持ちが理解できた瞬間だった。「自分は母に愛されていたんだ…」しかし、運命はハルさんに残酷なまでの辛苦の道を歩ませるのでした。
ハルさんが養母となって2年後、風邪をこじらせた養女は4歳の幼い命を閉じた。「本当に涙がこぼれるような事があっても涙隠してきた。泣いてしまったら、唄になんねぇから。」 30代、40代のハルさんは人に求められるままに唄い、どんな者でも拒まず弟子として引き取った。目が見えないものが生きるには、人に与えつくせという祖父と母の教えを素直に信じるハルさんは、苦労を自分から買ってしまうのだ。
「良い人と歩けば祭り、悪い人と歩けば修行。難儀な時やるのが、本当の仕事」と・・・
そして昭和53年、ハルさんは瞽女文化継承者として、国の無形文化財、いわゆる「人間国宝」に選ばれたのです。
全盲の闇の中から放たれる光、ハルさんの人生は決して一人のものではなく、 亡き父母や祖父と一緒に巡ってきた旅だったのかも知れない…。